海外就職 退職面談から最終出勤日まで


退職理由転職活動についてはすでに書きましたが、今日は退職活動についてまとめてみます。
新しい仕事が決まってから、実際に退職するまでの流れです。

ただの思い出話に近いですが、退職するときの雰囲気を味わっていただければと思います。

 

課長との面談まで

転職活動を始めたのが10月で、11月に入院(会社に殺されそうになった話)し、12月頭に退院しました。
内定をもらったのが退院と同じタイミングだったので、入院中に転職活動をしていたと思われるのではないかというのを気にして(今考えるとどうせ退職するのだから些末なことですが)すぐに退職の意向を伝えることができませんでした。

退院直後は社内の人も勤務時間を気にかけてくれていたため、罪悪感を感じながらいつ退職を切り出そうか考えていました。
「退職 いつ 言う」というようなワードでググっていました。
ググりまくった結果、「長期連休明けはみな気が抜けているので退職を切り出すのにちょうどよい」という記事を読み、これだ!と思います。

そして年末年始の連休明けの初日に課長に報告することを決意します。
当日、朝からそわそわしていました。
課長にメールでアポをとろうと思ったのですが、まず文面で悩みます。笑

「ご相談したいことがあるのですが、お時間いただけますでしょうか。」
→もう退職は決めているのだから、”ご相談”ではないな。

「ご報告したいことがあるのですが~」
→いきなり退職の報告は失礼ではないか!?

しょうもない事で一日悩み、結局メールを出せませんでした。
初日を逃したらますます言い出しづらくなることは目に見えていたので、残業時間に課長に直接話にいくことを決意します。

人が少なくなるのを待っていると、先に課長から呼び出されてしまいました。
呼び出された内容は忘れましたが、仕事の話が終わると課長がゴルフの話を始めました。
「Nainaさん、3月のコンペ出れないの? そこでデビューしよう」
3月!? 3月にはもう辞めるつもりなんですけど!!と焦り、課長のゴルフの話をさえぎって、「ちょっとお話ししたいことが…」と切り出しました。
最悪なタイミングになってしまい、私の顔は焦りと緊張で硬直していたと思います。

 

課長との面談

課長と会議室に入り、第一声で「退職させていただきたいです。」と切り出しました。
課長は業務経験や知識が豊富で行動力があり尊敬できるところも多くあったのですが、機嫌が悪いとすぐに怒鳴ってくる人でした。
このときも「この恩知らず!!」と怒鳴られることを覚悟していたのですが、課長の反応は意外にも「僕は退職して新しいことに挑戦する人を応援したい」というものでした。

その後も面談は和やかな雰囲気でしたが、2時間もの長時間にわたりました。

  • 退職理由
    できるだけ率直に話すように心がけました。
    入院するほどの長時間労働をやりたくないこと、今の会社の働き方や考え方に疑問を持っていること、社内資料作りに時間をかける意味がわからずモチベーションを保てないこと…などです。

    ネットでは失礼になるから本音を話すなと書いてありましたが、私は率直に話すことが礼儀だと考えました。
    働かせ方は異常だったとしても、スキルのない新卒を育ててくれたことに対しては感謝していました。
    私は辞めてしまいますが、同じように苦しんでいる若手社員のためにもより良い会社になってほしいという思いがありました。

    話しているうちに感極まって泣いてしまいました。
    私の職場は30歳近い男性がたまに泣いているような異常に殺伐とした雰囲気の職場だったのですが、私は入社時に「俺はお前が女でも手加減しない。お前が泣いても俺は何もせえへんからな!」と先輩に言われたのが悔しくて一度も泣いたことがありませんでした。(というか普通これ歓迎会で言います? やっぱり私の職場おかしいですよね?)
    家や帰り道ではよく辛くて泣いていたのですが、部内では血も涙もない女だと思われていたので課長は非常に驚き、私の真剣さも伝わったようでした。

  • 退職以外の道はないのか?
    課長から言われた言葉です。
    課長は国内の複数の部門と海外拠点を担当したことがあるため、「確かに今の業務には意味のない部分が多いし、働き方も非常にハードなものだ」と私の訴えを理解してくれました。
    そのうえで「今の職場だけを見て会社全体がそうだという風には思わないでほしい。」「あなたが望むなら、違う拠点に異動させることもできる。大きな会社のメリットはそこにあるんだよ。」という話をしてくれました。

    これは課長の言う通りだと思います。
    辞めるのはいつでもできるので、一度異動してみるのは良い選択だと思います。
    (私は半年前に異動の希望も伝えていたんですけどね! 退職まで言わないと動いてくれないということですね。)

    一方で私としては、違う拠点で働いていた同期が似たような理由で退職したり、自殺者も出している会社だったので「多少違うとはいえ、社風は一緒。もうこの会社にいたくない」という気持ちでした。
    そして、希望に合わせて柔軟に異動をさせるような会社ではなく、「○○への異動は落伍者」という話をよく聞くのも嫌でした。
      

  • 次の仕事について
    退職は止めないが現地採用は止めておいたほうがよいと強く言われました。
    現地採用という立場での仕事がキャリアになるのか? 給与は? 将来はどうするのか? といったことを聞かれました。
    これも課長の言っていることはよくわかります。私のことを思って言ってくれているのもよくわかります。
    でもそれらを考慮した上での選択なので、課長に言われて止めるようなら最初から行動していません。

    そして、あなたもサービス残業させているので待遇についてとやかく言う資格はないですね、と思いました。笑

  • 退職のための手続について
    4月から次の職場で働きたいため、2月末には退職したいことを伝えました。
    退職前には人事部との面談が必須で社内手続きにも時間がかかるので、2月に間に合わせるためには早急に手続きを進める必要があるとのことでした。

 

以上の内容を話し、最終的に「君の将来を考えて、今日すぐに退職を了承することはできない。部長とも面談してもう一度考え直してほしい。」と言われました。

 

部長との面談

というわけで次は部長と面談しました。

大企業の稼ぎ頭の事業部の経理部長ともなると、並の人ではありません。
予算計画を立てるたびに部長に報告するのですが、毎回この人にはかなわないと思っていました(キャリアが30年も違うので当たり前ですが!)。
数字から現場で起きていることを想像する力と重要なものとそうでないものを見抜く判断力があり、本当に頭の切れる人です。
細かい数字をつついてくる上司もいますが、部長は本質的な議論をしてくれるので、いつも論破されながらも面白いと思っていました。
 
そんな部長と末端の人間が一対一で面談する機会を与えられるのは、とてもありがたいことだと思っていました。
さらに光栄なことに、私を引き留めてくれもしました。
 

  • 退職理由
    課長に話したときと同じように、率直に伝えました。
    部長は長時間労働について「時代は変わっている。昔はそれが普通だったという考えはよくない。同じ内容をもっと効率よく学ぶ方法がある」という考えを持っていて、さすが部長は新しい考えを受け入れる度量があるのだなと思いました。
    ですが、「あなたがそういう職場の環境を変える存在だと思っていた」と言われ、それはちょっと違うなと思いました。
    「もちろん私も変えたいと思っていましたが、今の業務量をこなすのが精一杯でそんな余裕はありません。業務効率化に取り組んではいますが、業務の絶対量を減らさないと根本的な解決にはなりません。私はそれに対してどうしたらいいのか具体的な案がないですし、トップダウンでやってもらうことだと思います。」ということを勇気を出して伝えました。
    聞いてはくれましたが、本当に伝わったかどうかはわかりません。。
    とても尊敬する人ですが、生きてきた時代が違うのだなぁという感想です。
  • 考え直してほしい
    「若手の中でもとても期待していた。将来が楽しみだった。」
    「海外に行きたいのだったら、来年、OJTで海外に出すこともできる。」
    「ほかの人だったら、引き留めたりしなかったと思う。これまで責任感を持って仕事をしていたのを見ていたからこそ、ここまでやってあげたいと思う。」

    と言ってもらいました。
    退職の意思は変わりませんが、ここまで言ってもらってうれしかったです。

課長、部長ともここまで腹を割って話したのは初めてで、私の考えを伝え二人の考えを知ることができてよかったです。
風通しの良い職場ではないので、退職という段階になってからではなく、もっと普段から本音でコミュニケ―ションをとれたらいいのにと思います。

 

課長と二度目の面談→退職届提出

退職の意思が変わらないことを伝え、退職に向けて動いていくことになりました。
課長は「そうと決めたならがんばれよ!」と握手を求めてきました。熱い。。

 1月頭に退職の意向を伝え、実際に退職届を出したのが1月の下旬ごろだったと記憶しています。
2月末を最終出勤日とし、残りの有給を消化することになりました。

 

人事部との面談

人事部との面談といいながら人事の同期が来たので、かなりざっくばらんに話しました。
ほとんどは課長、部長に話したことと同じですが、上司には言いづらかったサービス残業のことも伝えました。

他には、持株会や保険の解約、退職金制度について説明を受けました。
特に難しいことはなく、人事も慣れているので説明に従ってハンコを押していけば終わります。

 

労働組合との面談

ここでもサービス残業の事実と、長時間労働の実態を伝えました。
組合側は驚いていました。
退勤時間とパソコンのログ見比べればすぐに分かることなので、そのくらい把握しておいてほしいです。

 

退職日まで

上記の面談や、書類上の手続きなどで業務を抜けることはありましたが、最後まで一担当として業務を行っていました。

同じ製品を先輩と二人で担当していたので引き継ぎというほどのものはありませんでしたが、それでも主な業務は私が行っていたので、後から先輩が困らないように資料の元データを整理しました。
他には、それまでに書き溜めていたマニュアルを共有フォルダに保存しておきました。
これは未来の後輩のためです。私自身がマニュアルがない中、手探りの作業で非常に苦労したので。

 

最終出勤日

最後の仕事は棚卸の立会でした。
午後は、お世話になった人に挨拶回りをしました。

特に工程部門には大変お世話になったのですが、挨拶に伺うと非常に暖かく迎えてくれました。

私の所属していた課は予算編成で忙しく本来の業務である仕掛(製造途中の製品)管理が手薄になりがちだったのですが、私はそこに力を入れていました(本質を見失ってる予算編成業務よりも好きだった)。
「手を抜けるところは抜かないとまわらないぞ」と言われながらも、できるだけ時間を見つけて異常値の洗い出しと修正に取り組みました。
私が担当しているあいだに、長年積み重なってきた歪みを少しは精算できたと思っています。

その仕掛管理に一緒に取り組んだのが、工程部門でした。
工程と経理は立場もやれることも異なるのですが、持ちつ持たれつのよい関係(かつ経理は他部門の不正を抑制しないといけないので慣れ合わない)を築くことができました。
また彼らから仕掛の仕組みについてたくさんのことを教えてもらいました。
「仕掛」という一つの勘定の中身がこれほど奥深いものだということを知り、原価計算・原価管理の面白さを知りました。この業務はもう少し続けたかった。

そんな工程部門のメンバーに、「よくがんばっていたね」「いなくなってしまうのが残念だよ」「頼りにしていたよ」という言葉をもらって本当にうれしかったです。
経験に見合わない重い仕事を任され辛いことや悔しいことのほうが多かったですが、このときやっと達成感を味わうことができました。

製造部の次長からもお餞別をいただいたり、部長にはご飯をごちそうしてもらい本当によくしてもらいました。

不満があって辞めたわけですが一人ひとりは好きでしたし、最終出勤日は色々な思いが込み上げてきて自分でも意外なくらいに感傷的になりました。

最後の部内の挨拶でも、一から教えてもらったことへの感謝を述べているうちにまた泣いていました。
「お前、涙でるんやな!」と先輩が言っていました。いつもは我慢してただけです。

 

送別会

感動的な感じで終わろうかと思ったのですが、最後にもう一つ忘れられないことが。
私の送別会の二次会で先輩方が延々と「昔はもっと厳しかった」「あの時間があったから成長した」「ついてこれないやつはそれでいい」という話をしていました。
この会社はやっぱり変わらない、変わる気がないということを改めて思い知らされました。
私の感動を返せ!という気持ちと、辞めてよかった!という気持ちで複雑な心境でした。終わり。

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

 

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