【海外就職のきっかけ】新卒2年でブラック企業を退職した話


私は新卒で入った会社を二年で辞めました。
海外で働きたい!!というキラキラポジティブ退職ではありませんでした。
先に「この会社を辞めたい」があり、次に「辞めてどうしたいのか?」を考えた結果が海外就職だっただけです。

私が会社を辞めたいと思った理由は、一言でいうと社風や周囲の人の考え方が合わなかったからです。
もう少し具体的にいうと、①長時間労働②意味のない業務の二つになります。
この二つのどちらかだけであれば、今も会社を続けていたかもしれません。
自分の成長や会社への貢献といった達成感・充実感が感じられていれば長時間労働も苦ではなかったと思いますし、反対に毎日定時で帰れるのであれば、意味のない業務が多くてもアフターファイブを充実させ毎日を楽しく過ごせたのではないでしょうか。

幸か不幸か、二つの要素が重なった結果、新卒で入った会社を辞めるという結論にいたりました。

 

退職理由① 長時間労働

少ない月で40時間、繁忙期には100~130時間(サービス残業含む)の残業がありました。
朝8時30分始業で、基本的に22時退社、遅いと23時、24時…というイメージです。
決して緩慢と働いていたわけではなく、常に最大効率を求められながらの100時間は心身ともに非常に辛いものがありました。
例えるなら、短距離走のスピードで終わりのないマラソンをやらされているような辛さでした。
仕事の疲れで食べ物の味はしなくなり、眩暈がしたり、片耳が聞こえなくなることもありました。
朝が来るのが怖くて寝付けない日もあり、やっと眠れたと思ったら夢でもエクセルを叩いているなど、相当追いつめられていました。

部活ばかりやっていた高校時代の洗脳のせいか、ここで辞めたら負けだという思いがあったのと、二年目にしては責任のある仕事をやらせてもらっているというプライドや責任感(今考えればしょうもないですが…)もあり、「私、入院したら休めるんでしょうか」という冗談を先輩に言いながら根性だけで会社に行っていました。

そんな生活を長く続けられるはずもなく、昨年11月、腎盂腎炎という病気にかかり入院することになりました。
一分一秒を惜しんで仕事をしていた結果、トイレに行くことすらできなくなり、腎臓が炎症を起こしたのです。
酷い悪寒と40度以上の高熱で立ち上がることもままならくなり、本気で死ぬんじゃないかと思いました。
汚い話ですが、病院で抗生物質の点滴を受けたあと、「尿ってこんなに透明だったんだ…!」と驚きました。
本来の尿の色を忘れてしまうくらいの間、おそらく数週間にわたって血尿をだしていました。恐ろしいです。

なかなか壮絶な体験でしたが、「入院するまでやったぞ」という謎の達成感を得られ、健康第一という当たり前のことを学ぶことができたので、入院自体は悪くなかったかなと思います。

何よりも嫌だったのは、長時間労働に対する周りの社員や上司の態度・考え方です。

例えば、私が残業時間を実態ベースで申請したところ、社内規定の上限時間を超過してしまい、課内で問題になったことがありました。
「調整しろって言っちゃったらパワハラになるからな~」「俺たちのころは80時間もつけられなかった」「時間内に終わらないっていわれても終わらせるしかないだろ」といった言葉をかけられ、申告時間を過少に調整させられました。
はい、ブラックですね。なんのために残業時間の規定があるのでしょうか。

彼らは長時間労働を是だと思っているんですよね。だからそういう言葉が出てくる。
2年間で様々な名言が飛び出しました。
「夜中まで悩んでみろ、見えてくるものがあるから」
「今の子はかわいそうやな、ゆっくり考える時間がないから」
「お前は残業多いって文句言ってるけど、俺は200時間やった」
「残業時間で同期や、ほかの会社に入ったやつと差がつく」
「じゃあ、残業なくなってなにしたいの? 意外とやることないぞ」
など。

長時間労働を否定することは、自分の辛かった過去を否定することになってしまうからでしょうか。
あの時間があったからこそ今の俺があるんだ!という強い思い込みを感じました。
それで彼らが幸せなのは大変結構なことですが、おじさんの古い価値観を押し付けられ効率の悪い教育方針に付き合わされるこっちはたまったもんじゃないです。
と思ったので辞めました。

 

退職理由② 業務内容

冒頭で触れましたが、どれだけ仕事がきつくても、その仕事に意味が見いだせたら続けられたと思います。
というよりも、意味が見いだせない業務が多かったからきつかった。

例えば、メインの業務である予算策定では、上半期の予算を3回(4月、6月、8月)も立てます。
6月から7月にかけて予算をリバイズ(それもゼロベースで)している間に、上半期は半分終わっています。
8月はもっと酷いです。あと少し待てば100%当たる予算(つまり実績)が出来上がりますね。
そして1か月以上もの時間を費やして予算策定したにも関わらず、リバイズすると前のデータは誰も見なくなります。
一年中予算策定で忙しいため、実績はあまり注目されません。
私はこれを、PDCAサイクルならぬ、PPPPサイクルと呼んでいました。

前述のとおり予算ばかりに気を取られ実績は注目されないため、予算の段階では悪化要因を隠し、実績でこっそり出すということが行われていました。
やるからにはより正確な予算を立てたいと思うのが普通ですが、「この悪化、上に説明できないよね? じゃあ入れられないよね」と却下されるのです。
こうなってくると本当に予算策定の意味が見いだせなくなります。

そしてその疑問を先輩にぶつけると、「我々は予算を作っているのではなく、偉い人たちへの言い訳を考えているんだ」という夢も希望もない答えが返ってきます。
私が未熟だから重要性が理解できていないのではなく、この職場の人はみんなお金のために割り切って働いているのだなということがわかりました。
さらに「でもいいじゃん。意味のない資料を作ってお金もらえるんだから」と言われ、そういう向上心のない人とは一緒に働きたくないなと感じました。

あの人みたいになりたいと思わせてくれる人は部内に一人もおらず、失礼ながら、この職場に長くいるとああいう風になっちゃうんだ…と思ってました。
ああいう風というのは、「若い時の貴重な時間をすべて仕事に捧げ、もっと短い時間でも習得できたこの会社でしか役に立たない知識を振りかざす、向上心のない、上の顔色ばかりうかがう事なかれ主義の人」のことです。

サラリーマンだからと割り切るには私はまだ若かったし、守るものもなかったので辞めました。

ただの悪口みたいになってしまいましたが、感謝している点もありますし、新卒で日本の大手に入っておいてよかったなと思っていることもあります。
それについてはまた後日書きたいと思います。

 

辞めてインドに就職しました。

 

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